詩集の中に捜すものは詩人のことばではなく
自分のむずがゆい部分の代弁だったりする
だから人が共通して持つやわらかな部分をつついた谷川の詩は共感に化け
しんみりと内面の乾いた土壌を潤おわせる
上述の点において実にうまくコマーシャリズムに乗った偉大な詩人
これは皮肉ではなく谷川も意識している部分だ
朝のリレー
カムチャッカの若者が
きりんの夢をみているとき
メキシコの娘は
朝もやの中でバスを待っている
ニューヨークの少女が
ほほえみながら寝がえりをうつとき
ローマの少年は
柱頭を染める朝陽にウインクする
この地球では
いつもどこかで朝がはじまっている
ぼくらは朝をリレーするのだ
経度から経度へと
そうしていわば交替で地球を守る
眠る前のひととき耳をすますと
どこか遠くで目覚時計のベルが鳴ってる
それはあなたの送った朝を
誰かがしっかりと受けとめた証拠なのだ
(著作権という言葉を知らないので掲載してしまふ。)